その意味で民主党の言い分は正しいと、最近よく思う。
政治の役割とは勝手ながら「『富の再分配』の実行」と「言葉」という手段を通じて、「国民の最大多数の最大幸福」を実現することだと理解してる。
主権者(国民)に「幸福を希求する」権利があり、オペレーションは内閣及び行政機関に付託され、時代にあった、ルールの立案・変更(プログラム)は議員に付託されている。
オペレーションやプログラムのパフォーマンスが悪ければ主権者はこれらを別の誰かに付託しなおす。つまり選挙だ。
現状、どの政党のアイディアも「富の再分配」に関しては不透明且つ回りくどい。「言葉」にいたっては主権者の「納得」「感銘」からは程遠い。つまり全くオペレーションもプログラムもグチャグチャなのである。
そこで民主党、何を言ってるかといえば、「再分配たくさんします。しかも『中抜き』で。」「スパゲッティ状態になってたプログラムは、設計思想がトレースできる所までもどします。その後、再構築しませんか?」更に、「再構築のプランは、政権とって、プログラムソース見てから出しますよ。」
これはもはや政治ではない。
まじめに考えれば、憲法改正どころではなく、もう一度憲法の制定・施行が必要になると思う。
これは、もはや「革命」です。
つまり民主党人気が今あるのではなく、政治不信があるだけなのである。
これは、タリバンの醸成過程とよくにている。もちろん日本の場合はもっとヌルイのだが・・。
ペシャワールの十数年に及ぶ難民生活
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向上心がある人間の多くは身に着けた技術や情熱を向ける対象物を探す。
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幸福になる権利も希望もなく、対象物がない。
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情熱は形而上学的難問とのあくなき対話に費やされる。
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原理主義的に得心
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自爆テロ
出来上がるマインドは、「希望は、戦争」ということになってしまう。
日本の場合は「希望は、革命」ということになっています。
民主党の革命政府がオペレーションとプログラムの仕様を開示しても、おそらく主権者は付託しないでしょう。更なる革命が発生しそうですね。